この世には、たった2つの悲劇しかない。一つは欲しいものが得られないこと。もう一つは、それを得ることだ。

オスカー・ワイルド 戯曲『ウィンダミア卿夫人の扇』(1892年・第3幕、ダーリントン卿の台詞)

原文(出典原語):In this world there are only two tragedies. One is not getting what one wants, and the other is getting it.

この名言の背景

この言葉は、『ウィンダミア卿夫人の扇』(1892年)第3幕のダーリントン卿の台詞で、Britannica、Goodreadsをはじめ複数の文学研究資料で引用される、オスカー・ワイルドの人生観を最も逆説的な形で示す名句です。

19世紀末のヨーロッパは、産業革命の成熟期で、人々の欲望が空前に膨らんでいた時代でした。富、地位、名声、愛、これらを手に入れることが人生の目的とされていました。しかしオスカー・ワイルドは、その前提そのものを疑ったのです。

この一節は、オスカー・ワイルド自身の人生の予言でもありました。彼は若くして文学的名声、社交界の寵児、裕福な生活、情熱的な愛、全てを手に入れました。そして「得た」ことによる悲劇、すなわち破滅、屈辱、投獄、晩年の貧困、を経験することになるのです。

欲望|手に入れる前と後、両方に潜む悲しみ

この言葉の洞察の深さは、欲望の根本的な性質を突いている点にあります。人は「欲しいものが得られれば幸せになれる」と信じています。しかしオスカー・ワイルドは、それが二重の錯覚だと指摘しました。得られなければもちろん悲劇。しかし、得ても悲劇が待っている、と。

なぜ手に入れることも悲劇なのでしょうか。第一に、手に入れた瞬間、それは既に「所有物」となり、求めていた時の輝きを失います。第二に、それを失う恐怖が始まります。第三に、「手に入れれば幸せになれる」という神話が崩壊し、次の欲望を探さねばなりません。

仏教の「求不得苦」と「愛別離苦」にも通じる洞察です。東洋哲学は、欲望そのものの構造を問題にしてきました。オスカー・ワイルドは、19世紀の西洋の消費主義社会に、同じ洞察を突きつけたのです。欲望に振り回される人生から、欲望そのものを見つめる人生への転換を示唆する名句です。

この名言から学べること

自分が強く欲しがっているものを、手に入れた後の景色までイメージしてみること。本当にその時、幸せが続くでしょうか。それとも、すぐに次の欲望が生まれるでしょうか。この想像力が、欲望への盲目的な追求を相対化してくれます。

オスカー・ワイルドの言葉は、幸福への新しい道も示唆してくれます。「得る」ことに全てを賭ける人生は、いずれ疲れます。代わりに、「ある」ことを味わう、「いる」ことに感謝する、「今」を生きる、こうした姿勢が、持続的な幸福をもたらしてくれるのです。