是非に及ばず

──織田信長

この名言の背景

織田信長が天正10年(1582年)6月2日、本能寺の変で発したとされる言葉です。家臣・太田牛一の『信長公記』に記録されており、信長の最期を象徴する名言として広く知られています。

この言葉は、本能寺に宿泊していた信長が明智光秀の軍勢に襲撃された際、森蘭丸から「明智が者と見え申し候」と報告を受けた直後に発されたものです。わずか70〜80人ほどの供回りに対し、光秀軍は1万3千人という圧倒的な兵力で本能寺を包囲していました。

ただし、『信長公記』の成立過程を考えると、この言葉は完全な史実と断定することはできません。太田牛一は本能寺の変の当日は京都におらず、後日、本能寺から脱出した女官たちへの取材をもとに記録したと伝えられています。

「諦め」か「決意」か|是非に及ばずの真意とは

従来、この言葉は「仕方がない、やむを得ない」という諦めの意味で解釈されてきました。光秀ほどの戦略家が周到に準備した襲撃であれば、もはや逃れる術はないという達観の言葉というわけです。

しかし近年の研究では、別の解釈も有力になっています。『信長公記』の続きを読むと、信長は「是非に及ばず」と言った直後に戦闘命令を発し、自ら弓を取って応戦したと記録されているからです。

この文脈から、「四の五の言っても仕方がない、全力で戦うのみだ」という決意表明として捉える解釈が支持されつつあります。単なる諦めではなく、迫り来る死を受け入れたうえでの、信長らしい覚悟の言葉だったのです。

この名言から学べること

「是非に及ばず」が私たちに教えてくれるのは、起きてしまった事態に対する潔い向き合い方です。避けられない状況で議論や後悔に時間を費やすより、目の前の現実に全力で向き合う姿勢こそが大切です。

現代社会でも、予期せぬ困難やトラブルは日常的に起こります。そんなとき、過去を悔やむよりも、今できる最善の行動に集中することが、結果的に最良の選択につながるでしょう。

信長のこの言葉は、危機に直面したときの精神的な強さと行動力の両方を示しています。絶望的な状況でも諦めず、限られた時間のなかで最善を尽くす。それが真のリーダーシップの姿なのかもしれません。